鬼瓦と明王像
本日を中心に、2~4日にかけて国内のお寺では「節分会」が行われています。
ここで行われる豆まきでの掛け声はたいてい、貪・瞋・痴の三つの毒を鬼に見立てて追い払うので「福は内、鬼は外」ですが、学生時代に「なぜ鬼は外なのだろうか?」と疑問に感じました。
そしてある日、どこかの家をふと見上げ、目に飛び込んできたのが「鬼瓦」です。
鬼瓦は奈良時代からあるといわれ、主に魔除けとして屋根の四方に配置されることが多かったと聞きます。
これは真言密教のお寺の本堂に配置される五大明王像とつながるものがあり、明王像の憤怒の相は、魔物から修行者を護衛するためのものともいわれ、修行者は修法の障りとなる魔物を明王により打倒し、明王に守られながら成道を目指すのです。要するに、明王とはそのおっかない外見とは裏腹に、人々に迫りくる悪魔から人々を守る、頼もしい守護神であるということがうかがえます。
そして家々に掲げられた鬼瓦もまた、家々に迫りくる魔物から人々を守り、家にもたらされた「福」を逃がさないようにするための存在と解釈することができます。そのゆえの「鬼は外」です。
となれば、東京・豊島区にある雑司谷鬼子母神での「福は内、悪魔は外」こそが豆まきにおける本来の掛け声なのかもしれません。何せ、本来追い払われるべきは貪・瞋・痴の三つの毒そのものですから。
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ここで行われる豆まきでの掛け声はたいてい、貪・瞋・痴の三つの毒を鬼に見立てて追い払うので「福は内、鬼は外」ですが、学生時代に「なぜ鬼は外なのだろうか?」と疑問に感じました。
そしてある日、どこかの家をふと見上げ、目に飛び込んできたのが「鬼瓦」です。
鬼瓦は奈良時代からあるといわれ、主に魔除けとして屋根の四方に配置されることが多かったと聞きます。
これは真言密教のお寺の本堂に配置される五大明王像とつながるものがあり、明王像の憤怒の相は、魔物から修行者を護衛するためのものともいわれ、修行者は修法の障りとなる魔物を明王により打倒し、明王に守られながら成道を目指すのです。要するに、明王とはそのおっかない外見とは裏腹に、人々に迫りくる悪魔から人々を守る、頼もしい守護神であるということがうかがえます。
そして家々に掲げられた鬼瓦もまた、家々に迫りくる魔物から人々を守り、家にもたらされた「福」を逃がさないようにするための存在と解釈することができます。そのゆえの「鬼は外」です。
となれば、東京・豊島区にある雑司谷鬼子母神での「福は内、悪魔は外」こそが豆まきにおける本来の掛け声なのかもしれません。何せ、本来追い払われるべきは貪・瞋・痴の三つの毒そのものですから。

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