もはや言葉に表せない大惨事
(本文はたたみます)
18日、京都市の中心市街地から南南東に離れた伏見区桃山にある京都アニメーションの第1スタジオが不審な男に放火され、34人の命が失われました。
手塚プロ出身者が2641(1981)年に立ち上げたこの会社が、満を持して10年前の2669(2009)年に完成させたスタジオということもあり、この惨事は京アニファンや手塚プロファンにとどまらず、世界中のアニメファンに衝撃を与えました。同時に、これはクールジャパンを売り込んできた日本の経済そのものに甚大なダメージを与えかねない緊急事態です。
確かに、たった一人の男の凶行で34人の命が失われた以上、男は責められてしかるべきですが、犯人は41歳。
全共闘ジュニア世代、マスコミでは「就職氷河期世代」と呼ばれ、1990年代から2000年代までの20年間にわたり、その親世代に相当する「全共闘世代」により、その全共闘世代の既得権益(雇用)を維持するためだけに採用を絞られ、正社員になれず、よくて派遣社員に甘んじざるを得ない状態に追いやられ、しかも「自己責任」の一言で突き放された世代に該当します。
全共闘世代は相対的に「今だけ、金だけ、自分だけ」という考え方、つまり「今が楽しければ将来のことはどうでもいい、自分が楽しければ周囲のことなど知らない」という狭い視野の持ち主が多い嫌いがあり、今日の少子化も全共闘世代により意図的にもたらされた日本弱体化計画の一環であると考えられています。今日の政官財界で要職を占めているのも全共闘世代です。
彼等のエゴにより、「社会に不要な存在」とのレッテルを貼られた全共闘ジュニア世代は、ある者はひきこもりとなり、ある者は自死に至ったという悲劇をもたらした一方で、ある者は田舎に帰って起業し成功をおさめ、ある者は家業を継ぐなど、「大都市圏に出ればいいというものではない」と就業意識の変化をもたらしました。
これらのうちマスコミがことさら強調するのは、悲しいかな、「50-80問題」とも呼ばれるひきこもり問題です。
この問題は明らかに全共闘世代が自分のエゴのために子供たちから社会に出るはしごを無慈悲に外し、ひきこもりに至らしめたということを考えると、自業自得以外の何物でもないのですが、全共闘世代に反省を促すものであるべきで、全共闘ジュニア世代を叱咤するものであってはなりません。
そして昨今、全共闘ジュニア世代の中でも、さらに社会で挫折を味わった者が自暴自棄のあまり、連続殺傷事件を起こすケースが後を絶たなくなっています。
連続殺傷事件といえば、40年ほど前まで、国内では極左暴力集団による爆破テロなどが頻発し、やはり多くの人命が失われました。斯様な連続殺傷事件は一度鳴りを潜めるようになったのですが、平成になってからはオウム教事件で無辜の市民の命が奪われ、10年前には秋葉原連続殺傷事件もありました。「日本はもう安全ではなくなった」と言われていますが、もともと日本は「絶対安全」な国ではなかったのです。世界から見ればまだマシなだけなのです。
今年に入ってからも、川崎市の連続通り魔事件(犯人は自刃)があり、それからあまり日を置かずに今回の大惨事・・・。
斯様な連続殺傷犯が発生するほどに、自分たちの子世代にあたる全共闘ジュニア世代を追い詰めてしまったことは全共闘世代の皆様の責任であり、責任転嫁は許されません。今一度自問自答し、そして、猛省してみてください。
そして、犠牲になったクリエイターら34人に、心よりお悔やみ申し上げます。
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18日、京都市の中心市街地から南南東に離れた伏見区桃山にある京都アニメーションの第1スタジオが不審な男に放火され、34人の命が失われました。
手塚プロ出身者が2641(1981)年に立ち上げたこの会社が、満を持して10年前の2669(2009)年に完成させたスタジオということもあり、この惨事は京アニファンや手塚プロファンにとどまらず、世界中のアニメファンに衝撃を与えました。同時に、これはクールジャパンを売り込んできた日本の経済そのものに甚大なダメージを与えかねない緊急事態です。
確かに、たった一人の男の凶行で34人の命が失われた以上、男は責められてしかるべきですが、犯人は41歳。
全共闘ジュニア世代、マスコミでは「就職氷河期世代」と呼ばれ、1990年代から2000年代までの20年間にわたり、その親世代に相当する「全共闘世代」により、その全共闘世代の既得権益(雇用)を維持するためだけに採用を絞られ、正社員になれず、よくて派遣社員に甘んじざるを得ない状態に追いやられ、しかも「自己責任」の一言で突き放された世代に該当します。
全共闘世代は相対的に「今だけ、金だけ、自分だけ」という考え方、つまり「今が楽しければ将来のことはどうでもいい、自分が楽しければ周囲のことなど知らない」という狭い視野の持ち主が多い嫌いがあり、今日の少子化も全共闘世代により意図的にもたらされた日本弱体化計画の一環であると考えられています。今日の政官財界で要職を占めているのも全共闘世代です。
彼等のエゴにより、「社会に不要な存在」とのレッテルを貼られた全共闘ジュニア世代は、ある者はひきこもりとなり、ある者は自死に至ったという悲劇をもたらした一方で、ある者は田舎に帰って起業し成功をおさめ、ある者は家業を継ぐなど、「大都市圏に出ればいいというものではない」と就業意識の変化をもたらしました。
これらのうちマスコミがことさら強調するのは、悲しいかな、「50-80問題」とも呼ばれるひきこもり問題です。
この問題は明らかに全共闘世代が自分のエゴのために子供たちから社会に出るはしごを無慈悲に外し、ひきこもりに至らしめたということを考えると、自業自得以外の何物でもないのですが、全共闘世代に反省を促すものであるべきで、全共闘ジュニア世代を叱咤するものであってはなりません。
そして昨今、全共闘ジュニア世代の中でも、さらに社会で挫折を味わった者が自暴自棄のあまり、連続殺傷事件を起こすケースが後を絶たなくなっています。
連続殺傷事件といえば、40年ほど前まで、国内では極左暴力集団による爆破テロなどが頻発し、やはり多くの人命が失われました。斯様な連続殺傷事件は一度鳴りを潜めるようになったのですが、平成になってからはオウム教事件で無辜の市民の命が奪われ、10年前には秋葉原連続殺傷事件もありました。「日本はもう安全ではなくなった」と言われていますが、もともと日本は「絶対安全」な国ではなかったのです。世界から見ればまだマシなだけなのです。
今年に入ってからも、川崎市の連続通り魔事件(犯人は自刃)があり、それからあまり日を置かずに今回の大惨事・・・。
斯様な連続殺傷犯が発生するほどに、自分たちの子世代にあたる全共闘ジュニア世代を追い詰めてしまったことは全共闘世代の皆様の責任であり、責任転嫁は許されません。今一度自問自答し、そして、猛省してみてください。
そして、犠牲になったクリエイターら34人に、心よりお悔やみ申し上げます。

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