クリスマスの夜に・・・
28年前、ルーマニア革命により、当時のチャウシェスク大統領夫妻が失脚しました。
(以下、内容が重苦しいのでたたみます)
(以下、内容が重苦しいのでたたみます)
24年間国政に君臨していたこの夫婦は、血税を不正蓄財したことなどにより「人道に対する罪」で処刑されるのですが、それがまさにこの日、庶民が久々に心の底からクリスマスを祝うことができるようになった日でもありました。
銃殺刑とされたチャウシェスク夫妻の亡骸はその日の夜に現地のテレビで公開されたのですが、執行人となった兵士らは上官の「撃て」という命令を聴く間もなく、夫妻の姿を見るや否や、合計100発もの弾丸を撃ち込んだということで、1980年代の終わりを告げるには、あまりにもグロテスクな一日だったとききます。
あまり知られていないことですが、ルーマニアは第二次世界大戦において、日独伊の同盟国でした。結果的に(当時の)ルーマニア王国軍は連合国に降伏、王政が廃止され共和制国家になるのですが、なまじソヴィエト連邦の衛星国に囲まれているばかりに東側諸国の一員にさせられたことが、その後の同国における不幸の始まりだったのではないでしょうか・・・。それを考えると戦後の日本は西側諸国の一員になり、高度成長期と呼ばれる大復興期を迎える一方で、ドイツは東西に分割させられるなど、俗に「第三次世界大戦」とも呼ばれる冷戦期の44年間は、かつての枢軸国が、形式的にとはいえ敵味方に分かれてしまった時期にあたるといえます。
このチャウシェスク政権の際に首都ブカレストに建てられた「国民の家」は、米国防総省「ペンタゴン」に次ぐ世界で2番目に広い面積を持った建造物で、ルーマニア革命の際に建設が中断されたもののすぐさま工事が再開され、1997年になってようやく完成しました。現在は国会議事堂をメインに、美術館などが入る公共施設を併設した建物として機能しています。ただ3000もの部屋すべてを管理することは難しく、立ち入り禁止となっている区画も多い上に、入館は有料です。
なお上記は(ものすごく長いですが)ルーマニア革命の全貌に触れた動画です。
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銃殺刑とされたチャウシェスク夫妻の亡骸はその日の夜に現地のテレビで公開されたのですが、執行人となった兵士らは上官の「撃て」という命令を聴く間もなく、夫妻の姿を見るや否や、合計100発もの弾丸を撃ち込んだということで、1980年代の終わりを告げるには、あまりにもグロテスクな一日だったとききます。
あまり知られていないことですが、ルーマニアは第二次世界大戦において、日独伊の同盟国でした。結果的に(当時の)ルーマニア王国軍は連合国に降伏、王政が廃止され共和制国家になるのですが、なまじソヴィエト連邦の衛星国に囲まれているばかりに東側諸国の一員にさせられたことが、その後の同国における不幸の始まりだったのではないでしょうか・・・。それを考えると戦後の日本は西側諸国の一員になり、高度成長期と呼ばれる大復興期を迎える一方で、ドイツは東西に分割させられるなど、俗に「第三次世界大戦」とも呼ばれる冷戦期の44年間は、かつての枢軸国が、形式的にとはいえ敵味方に分かれてしまった時期にあたるといえます。
このチャウシェスク政権の際に首都ブカレストに建てられた「国民の家」は、米国防総省「ペンタゴン」に次ぐ世界で2番目に広い面積を持った建造物で、ルーマニア革命の際に建設が中断されたもののすぐさま工事が再開され、1997年になってようやく完成しました。現在は国会議事堂をメインに、美術館などが入る公共施設を併設した建物として機能しています。ただ3000もの部屋すべてを管理することは難しく、立ち入り禁止となっている区画も多い上に、入館は有料です。
なお上記は(ものすごく長いですが)ルーマニア革命の全貌に触れた動画です。

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