30年前までホテルだった場所
沖縄県全域と鹿児島県奄美地方の一部をエリアに持つAMラジオ局は、現在、琉球放送(RBCiラジオ/738kHz)と、ラジオ沖縄(864kHz)の2局があります。前者はラテ兼営のため、那覇市内の目抜き通りに面して社屋を構えている一方、後者の社屋は、YouTubeなどで観た限り、およそラジオ局とは似ても似つかわしくない、一昔前のビジネスホテルを思わせる建築になっているのが特徴です。社屋に「ラジオ沖縄 JOXR」のペイント(台風対策として看板を使わず、屋号などを直接壁にペイントするのが現地流)がなかったら、ビジネスホテルもしくは、マンションにも見える・・・のですが、調べてみたところ、今から約30年前まで、本当にホテルとして用いられていたものをリフォームしたという、驚くべき事実が判明しました。
1988年まで同じ那覇市の泉崎にあった本社が再開発事業にともない閉鎖されることになり、かつ開局当時からの財政難や用地不足もあり新社屋の建設はままならず、西町にあった、移転もしくは廃業か何かで閉鎖された某ホテルの建物を買い取り、これが現在の社屋になったという由です。
ラジオ沖縄の親局はかつて783kHz・出力5kwで、地理的要因から混信が著しく、中継局ができる前に864kHz・10kwに改め、RBCも親局の出力は現在10kwです。中継局はどちらもFMにしていますが、RBCの今は亡き平良放送局はAM(1152kHz)を用いていました。
蛇足ですが、現在のFM沖縄は1984年8月まで、極東放送(KHR/1251kHz)と称するAM局だったため、本土復帰直後の沖縄県の民間ラジオ局はAM3局体制でした。しかし当時のソヴィエト連邦から流れてくる、同じ1251kHzのモスクワ放送との混信に悩まされ、しかも極東放送の出力は5kwであるのに対しモスクワ放送が1,000kwもの大出力のため太刀打ちできず、やむなくFMに切り替えたのが現・FM沖縄の始まりです。
スポンサーサイト

1988年まで同じ那覇市の泉崎にあった本社が再開発事業にともない閉鎖されることになり、かつ開局当時からの財政難や用地不足もあり新社屋の建設はままならず、西町にあった、移転もしくは廃業か何かで閉鎖された某ホテルの建物を買い取り、これが現在の社屋になったという由です。
ラジオ沖縄の親局はかつて783kHz・出力5kwで、地理的要因から混信が著しく、中継局ができる前に864kHz・10kwに改め、RBCも親局の出力は現在10kwです。中継局はどちらもFMにしていますが、RBCの今は亡き平良放送局はAM(1152kHz)を用いていました。
蛇足ですが、現在のFM沖縄は1984年8月まで、極東放送(KHR/1251kHz)と称するAM局だったため、本土復帰直後の沖縄県の民間ラジオ局はAM3局体制でした。しかし当時のソヴィエト連邦から流れてくる、同じ1251kHzのモスクワ放送との混信に悩まされ、しかも極東放送の出力は5kwであるのに対しモスクワ放送が1,000kwもの大出力のため太刀打ちできず、やむなくFMに切り替えたのが現・FM沖縄の始まりです。

[PR]
