マジで泣きそう・・・
昨日(日付が変わっているため)のことになりますが、ボークス神戸SRから京都市内の自宅に帰る途中、三条大橋で何やら大きなもめごとがありました。
(続きはたたみます)
(続きはたたみます)
それは、いわゆるヘイトスピーチと、それに対するカウンターというものでした。
昨年から世間を騒がせている例のアレで、京都でのものは過去、レイシストの拡声器によるチョソン初級学校への悪口の数々が後に事件になり、ドキュメンタリー本も上梓されていますが、都内や大阪市内では頻繁にこれらヘイトスピーチVSカウンターのもめごとが起きているようで、私にとってこれを目にするのは今年に入って2度目です。お互いがどのような暴言を吐いていたのか、内容までは聞き取れなかったのですが(おそらく「チョソン民族は帰れ」「レイシズムなんてとんでもない!仲良くなさい」という趣旨っぽい?)、主張はどうであれ、一般人の通行の妨げとなるだけの、暴言の応酬はナンセンスであることに変わりありません。理性を欠き、汚らしい言動をやめられないようでは、かえって白い目で見られるのがオチというもの・・・。
私はといえば、特にドールイベントに参加する過程でいろんな国籍の方々と接する機会を得ており、それは今でも続いています。私の知人のディーラー様の中にもいらっしゃいます。彼等も、私にとっては同じ市井の人同士であり、たまたま在日外国人であるというだけなのです。だからこそ、彼等の目に、ヘイトスピーチとカウンターが、どのように映っているのか、考えるだけでも胸が痛くなります。その人が、
「おいおい、またやってるぜこいつら・・・」
という目で通り過ぎられる人であるならいざ知らず、理性のかけらもない暴言の数々を耳にして、心を痛める人がいたら、と思うと、悲しくなりませんか?
国際都市にあるまじきヘイトスピーチとカウンター、それは、表現の自由をはき違えた「自由という名の不自由」の塊といえるかもしれません。
すみません、真剣すぎる内容になりました・・・。
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昨年から世間を騒がせている例のアレで、京都でのものは過去、レイシストの拡声器によるチョソン初級学校への悪口の数々が後に事件になり、ドキュメンタリー本も上梓されていますが、都内や大阪市内では頻繁にこれらヘイトスピーチVSカウンターのもめごとが起きているようで、私にとってこれを目にするのは今年に入って2度目です。お互いがどのような暴言を吐いていたのか、内容までは聞き取れなかったのですが(おそらく「チョソン民族は帰れ」「レイシズムなんてとんでもない!仲良くなさい」という趣旨っぽい?)、主張はどうであれ、一般人の通行の妨げとなるだけの、暴言の応酬はナンセンスであることに変わりありません。理性を欠き、汚らしい言動をやめられないようでは、かえって白い目で見られるのがオチというもの・・・。
私はといえば、特にドールイベントに参加する過程でいろんな国籍の方々と接する機会を得ており、それは今でも続いています。私の知人のディーラー様の中にもいらっしゃいます。彼等も、私にとっては同じ市井の人同士であり、たまたま在日外国人であるというだけなのです。だからこそ、彼等の目に、ヘイトスピーチとカウンターが、どのように映っているのか、考えるだけでも胸が痛くなります。その人が、
「おいおい、またやってるぜこいつら・・・」
という目で通り過ぎられる人であるならいざ知らず、理性のかけらもない暴言の数々を耳にして、心を痛める人がいたら、と思うと、悲しくなりませんか?
国際都市にあるまじきヘイトスピーチとカウンター、それは、表現の自由をはき違えた「自由という名の不自由」の塊といえるかもしれません。
すみません、真剣すぎる内容になりました・・・。

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